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ソニーイメージングギャラリー 銀座

川畑秀樹 作品展 Descent of the Bodhisattva —菩薩降臨図—
1000年以上の行事を伝承する男たちの物語

川畑氏の作品展の内容を紹介するにあたり、事前に中将ちゅうじょうひめ伝説と當麻寺たいまでらしょうじゅう来迎らいごう練供養会式ねりくようえしき(以後、練供養ねりくようと略す)について説明しておきたい。
中将姫は奈良時代の右大臣藤原豊成の娘で17歳のときに當麻寺に入山し、蓮糸(蓮の繊維で作った糸)で曼荼羅を織ることを決意。観音菩薩の加護を得て一夜にして巨大な當麻曼陀羅(国宝)を織り上げた。織物には阿弥陀仏や観音菩薩、勢至菩薩らが織り込まれ周囲にはお釈迦さまの教えも描かれている。當麻曼荼羅を織り上げてから12年後、姫が29歳の春に阿弥陀如来をはじめとする二十五菩薩が来迎し、生身のまま極楽浄土へ旅立たれたと伝えられている。これが中将姫伝説である。中将姫が残した曼荼羅の教えは、その後も民衆の心の拠り所となり多くの人々の信仰を集めた。

練供養は奈良県葛城市の當麻寺春の大祭で、中将姫の現身往生を再現する行事として毎年中将姫の命日である5月14日に行なわれる。観音菩薩、勢至菩薩ら二十五菩薩が、現世に里帰りした中将姫を迎えて極楽へ導くという儀式で1000年以上の長きに亘って伝承されてきた。

法会である練供養は金色の菩薩面に光背こうはい、袈裟をつけ、独特の所作で傾斜のある110メートルの来迎橋を約1時間かけて往復する。夕日に照り映え黄金色に輝く菩薩たちは絶好の被写体であり、カメラマンたちが放つシャッター音が鳴り響く。

練供養を10年近く撮り続けている川畑氏だが、この作品展に展示される作品は、練供養そのものではなく、練供養を粛々と守り伝承してこられた“菩薩講ぼさつこう”と呼ばれる地元の方々である。
菩薩講には、町内会の祭りのような雰囲気もありつつ、「先祖が伝承してきたように自分たちも後世に伝えていくしかない」という使命感とこの土地に生を受けた者の義務なのだから、という複雑な気持ちが混ざりあった独特な空気を感じるという。
彼らから伝わってくるその空気感は練供養を伝承している者の矜持とは裏腹に、それがいかに大変で困難であるのかを彼らが身を以って知っているからだろう。作品展では練供養の裏側で働く菩薩講の人々の真摯な姿を伝えている。

作品展について川畑氏は次のように語ってくれた。
「特に儀式で重要な役割を持つ観音菩薩、勢至菩薩役を担えるのはわずか4名です。その方たちがある瞬間に恍惚とした表情を見せるのです。しかも、4名の方たちが全く同じように反応をするのです。金色に輝く菩薩面を装着する際に菩薩さまと一体になるほんの一瞬、瞳孔が開き面に演者が吸い寄せられるような瞬間に1000年という歴史の凝縮を感じるようになりました。写真として表現するのは難しいのですが、その瞬間を表現したくて撮影を続けています。この作品展で“その一瞬”を感じていただければ幸いです。」

中世から連綿と伝承されてきた練供養は、伝えていく人々がいなければ1000年の歴史は絶えてしまう。伝える人々がいたからこそ、今に伝わっている。その重要な担い手である“菩薩講”の方たちが様々に見せてくれる生き生きとした表情や所作を川畑氏の鋭く、そしてやさしい視点で捉えたこの作品展をご覧になりながら、絶えることなく伝えてきた人々の1000年の時空をこの作品展で感じていただきたい。

川畑かわばた 秀樹ひでき プロフィール

1949年生まれ 大阪市出身 現住所は奈良県葛城市。戦中、戦後と映画会社の宣伝部に勤務していた父の影響を受け、子供のころより映画のスチール写真を見て過ごす。そんな影響で職業はコマーシャルフォトグラファーに。明けても暮れても広告の依頼写真撮影と動画制作に没頭。60歳を記念して奈良県に移り住み、築190年といわれる古民家を購入し写真展示を中心としたギャラリーを運営。以後、写真作品の制作に励む毎日が続いている。日本写真家協会正会員(JPS)日本広告写真家協会正会員(APA)奈良県美術人協会会員。