Sakhalin(サハリン)
主催:朝日新聞社、朝日新聞出版
- 会期
- 2023年4月28日(金)~5月11日(木) 11:00~18:00
新田樹さんは第31回林忠彦賞も同時に受賞されました。受賞作品展が下記要領で開催されますので、お近くの方はこちらもぜひご覧ください。
- ■第31回林忠彦賞 受賞作品展(東京展)
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2023年4月28日(金)~5月4日(木・祝)
10:00~19:00 (最終日は16:00まで)
会場:富士フイルムフォトサロン
東京都港区赤坂9-7-3 東京ミッドタウンフジフイルム スクエア
TEL (03)6271-3351
- ■第31回林忠彦賞 受賞作品展(周南展)
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2023年5月12日(金)~5月21日(日)
9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(月曜が祝日または休日の場合はその翌日)
会場:周南市美術博物館
山口県周南市花畠町10-16
TEL (0834)22-8880
朝日新聞社は日本の写真の発展に尽くした木村伊兵衛氏の業績を記念して、1975年に「木村伊兵衛写真賞」を設けました。2008年4月に出版部門が朝日新聞出版として独立した後は両社の共催となりました。
国内外のプロ・アマを問わず、毎年1月から12月までに写真の制作・発表活動において優れた成果を挙(あ)げた、新人の写真家が受賞しています。
第47回「木村伊兵衛写真賞」においては、新田 樹氏が写真集「Sakhalin(サハリン)」と写真展「続サハリン」で受賞されました。受賞者は、写真関係者から推薦された候補者の中から、選考会によって決定されました。第47回の選考委員は4名(写真家の大西みつぐ氏、長島有里枝氏、澤田知子氏と、小説家の平野啓一郎氏)です。
木村伊兵衛写真賞 事務局
日本統治時代に樺太とよばれたこの地には、1945年8月の日本敗戦時、約35万人の日本人と2万~4万3千人(諸説あるが正確な人数は把握されていない)の朝鮮人※が取り残されていた。戦後ソ連領となったこの地から日本人の多くは引き揚げたが、朝鮮人たちとその配偶者である日本人は、その後数十年にわたりこの地を離れることはかなわなかった。(※サハリン残留韓国・朝鮮人。以後カレイスキーと表記)
1996年3月。私は、未だ混乱の続くロシアを写真家として最初の仕事にしたいと思い旅していた。その途上での出会いがサハリンとの始まりだった。
青く凍えた街の辻にろうそくが灯っている。木でこしらえた枠にはビニールが張られ、そのなかで生花がろうそくの炎に照らされ息をしていた。傍らには凍えた顔のおばあさんが座っている。
当時、ユジノサハリンスクのバザール(市場)や街で花を売るカレイスキーのおばあさんたちの姿があった。私が日本から来たとわかると、厳しい生活の様子を日本の言葉で話してくれた。路上での短いやりとりを交わしただけでも、彼女たちの背景に日本が大きく関わったことが色濃く感じられて、私は漠然としながらも鋭利な後ろめたさを感じずにはいられなかった。だからだろうか、彼女たちの心に触れることができればと願った。
私は街をうろつき、彼女たちの前に立つのだが、気持ちがこわばってしまい言葉が出てこなかった。なぜ彼女たちはこの地に残らざるをえなかったのか。それを知ることなしでは、彼女たちと正面から向き合う自信が持てなかった。あの時、私は一歩も踏み込めずにサハリンを後にした。それだけに今でも忘れられない出来事を思い出す。
街を歩いている時のことだった。思いがけず日本の言葉が聞こえてきた。私の前を歩く二人のおばあさんが話しているようだった。
「日本の方ですか?」 それまでの旅の心細さに、私は思わず声をかけた。
「いいえ、私たちは戦争の前にここへ来た朝鮮人です」
戦後から50年、この地で日本の言葉が日常的に使われていることに驚いた。それは単に話せる事とは違う何か、その後何度も繰り返される問いの始まりとなった。
歴史が記憶の堆積物ならば、降り積もり埋もれてしまう。単純に割り切ることのできない思いを抱え生きる姿に今なら向き合えるのではないかと動き出したのは、それから14年後の2010年のことだった。
新田 樹