SONY

English ソニーイメージングギャラリー 銀座

東京写真月間 2023 アジアの写真家たち ベトナム

 2023年9月21日に日本とベトナムは外交関係樹立50周年を迎えます。「東京写真月間2023」の国際展「アジアの写真家たち2023」では、今回の節目を記念し外交関係樹立50周年事業としてベトナム社会主義共和国の写真家を紹介いたします。

 同国は2006年の「アジアの写真家たち」で取り上げています。時の流れるのは早いもので、すでに17年の歳月が流れました。その間、同国の経済は2006年当時のGDPが概算で600億ドルから2022年には4100億ドルと飛躍的な伸びをしています。コロナ禍を除き、ASEAN域内ではトップクラス成長率を保持し、政治・経済は安定した国です。日越関係は1991年10月のカンボジアとの和平合意以降、「アジアにおける平和と繁栄のための広範囲な戦略的パートナーシップ」の元、政治、経済、安全保障、文化・人的交流など広範囲な分野で緻密な連携を取っています。

 ベトナムは建国2000年の歴史を持つ国にも関わらず、古くは中国の支配を受け、近年は、インドシナ戦争やアメリカの介入による南北ベトナム戦争を経験するなど、建国以来、外国の干渉を受け続けた歴史でもあります。長い歴史の中で、中国・仏などを始めとする国々に影響を受けながらベトナム独自の文化を醸成し、食文化で代表的なものは中国料理をモデルとしたベトナム料理と言えます。国土は南北に長い地形で、中国、ラオス、カンボジアと隣接した日本よりやや狭い国土で山間部も多い一方、海岸線も長く、変化に富んだ気候や風光明媚な自然などは日本と似たようなところもあります。フエ、ホイアン、ハロン湾など日本人も多く訪れる世界遺産が点在し、観光的にも魅力的な国柄です。

 日本とベトナムの関係は古く、16世紀に遡ります。当時、海禁政策を取った中国(明)に変わる貿易相手国を東南アジアに地域に求めた日本は、幕府などの権威者が許可した正式な貿易船であると認める「朱印状」を携帯した御朱印船貿易が盛んな時代でした。現在のベトナム、タイ、フイリッピンなどの東南アジア地域に日本の銀、銅、硫黄、刀剣などと引き換えに、生糸、絹織物、綿布を持ち帰っていました。ベトナムとの交易は活発で、当時の大都市ホイアンに日本人町が出来るほどでした。その後、徳川幕府による鎖国政策により、1635年に御朱印船貿易は途絶えましたが、ホイアンの日本人町はその後数十年にわたり日本人が住んでいたとのことです。この様に日本とベトナムは歴史的にも深い関係にあり、再びベトナムの写真家たちとの交流が出来ることはとても意義深いものと感じています。

 2006年以来今回で、二回目となる国際展「アジアの写真家たち─ベトナム─」では、数十年経過した同国の発展と文化の変節を表現した出展作家23名による写真展をニコンプラザ東京THE GALLERY、ソニーイメージングギャラリー、LUMIX BASE TOKYO、Place M、ヒルトピアアートスクエアギャラリーCの5か所の会場で開催いたします。今回の写真展を通して、今、力強く生きるベトナムの人たちの生活や伝統、日本でも抱える老後の問題、また豊かな自然、と芸術的センスが高い作品に触れていただき、新しいベトナムを垣間見ていただければ幸いです。どうぞ外交関係樹立50周年の記念すべき写真展を多くの方に写真展会場に足を運んでいただきたくお願いいたします。

東京写真月間2023」運営委員長
(国際交流委員長)
尾畑正光

主催
「東京写真月間2023」実行委員会-日本写真協会・東京都写真美術館
後援
外務省・環境省・ベトナム社会主義共和国大使館

出展写真家

NGUYEN NGOC HOA (グエン ゴック ホア)

1981年生まれ
コントゥム出身、コントゥム在住

骨の折れる塩づくり

ベトナム中南部の沿岸地域に位置するスアンビン村のトゥエットジエム(フーイェン省ツンカウ市)は、伝続的な塩づくりの技法が残されている数少ない村のひとつです。ここでは、人々が塩辛い塩の粒を精製し、海の香りが漂う純粋な調味料へと仕上げています。
近年、工場生産による低価格の輸入品の参入により、塩づくりに従事する家は少なくなってきました。しかし、工業化の進む時代においてたとえ低賃金で骨の折れる仕事であっても、人々は150年以上にわたる伝統的な仕事への愛によって、今日まで技術の素晴らしさを受け継ぎ守り続けてきました。

TRAN VIET VAN (チャン ヴィエト ヴァン)

1971年生まれ
ナムディン出身、ハノイ在住

90歳の靴職人

チャン・ゴック氏は、ベトナムのサイゴンに住む靴職人で、90歳になっても仕事を続けています。彼はかつてパリのLEcole ABC De Dessin内で学び、あらゆる種類の靴を作ることができます。数十年にわたる彼のキャリアの中で、彼はカンボジア王室の女王からシアヌーク皇太子、多くのベトナムの有名歌手のために靴を作ってきました。
彼は「高度な技術が発達した時代になっても、職人技の手仕事は、芸術に関心を持つ人たちによって生き残っていくだろう」と言います。「例えば、肖像画よりも絵画を好む顧客がいるように、絵画には芸術家の魂が込められていると感じるものです。靴を生み出す靴職人も同様ですが、技にはある一定のレベルが求められますし、達しない場合には解雇される可能性もあります。
人類の文明は、はるか昔から現在、そしてこの先も永遠に続くだろうけれども、この惑星上で手仕事の技術が、消えることはないでしょう。」
私が彼に「人生で最も重要なことは何か」とたずねたとき、彼はこう答えました。「私の人生は非常にシンプルです。私はただこう考えているだけです。もし私が他の人に幸せを与えることができれば、私は幸せを2倍に受け取ることができるのだと。」

LY HOANG LONG (リ ホアン ロン)

1965年生まれ
ツクチヤン出身、ラムドン在住

赤ザオ族の「12灯の儀礼」

ザオ族の成人の儀礼は、毎年行われるベトナム南部の民族による伝統的なものとは異なり、毎年特定の日時は決っておらず、旧暦の年末ごろに開催されています。特にこの「12灯の儀礼」は、霊的な要素と物質的な条件の両方を満たさなければ行うことができず、ザオ族の村々では、50年に1度しか行われない村もあるため、より珍しい儀礼になっています。 ザオの男性は、民族の先祖である王、バンブオン(バン王)の子孫であることを確認するために必要なもので、儀礼には「3灯、7灯、12灯」の3つの段階があり、これらを終えて初めてコミュニティの中で成人として正式に認められることになるのです。また、これを経験することで死後、先祖に再会できると信じられています。
この「12灯の儀礼」では、重要な儀式を執り行うべく12人の高名な聖職者が招かれているため、通常5日間通して行われます。先祖に紹介するための開壇の儀式、ランプをささげ対象者の名前や地位を宣言する儀式、出発の儀式、断食の儀式(始まりから終了までこの儀式に参加している人はすべて精進料理を食べなければならない)や聖職者になるための学び、カメの踊りなどが、ドラムやゴング、トランペットのリズムに合わせて順番に行われます。
この儀礼に一貫して欠かせない物は“灯り”であり、その目的は魂を照らし出し、すべての罪を浄化し、儀礼を受ける者を清らかにすることにあります。その後、聖職者は順番に対象者に封印を行います。最も神聖で重要な瞬間は、夫婦が階段の下にひざまずき、聖職者から印と証書を受け取るときです。
この5日間の伝統的な儀礼が終了すると(その一部は夜中から朝方にかけてしか行われませんが)身体的に疲れは残るものの、何年も待ち望んでいた「12灯の儀礼」を行うことができた誇りと幸せで皆が満たされるのです。

NGUYEN HAI DONG (グエン ハイ ドン)

1969年生まれ
アンザン出身、ホーチミン在住

NGUYEN NGOC THIEN (グエン ゴック ティエン)

1988年生まれ
ビンディン出身、ホーチミン在住

コンダオ島のウミガメを守る

バーリア=ブンタウ省に位置するコンダオ島は、青い海、白い砂浜といった素朴な自然の美しさを有しているだけでなく、ベトナムで最も多様な海洋生態系を維持しているため、ダイビングを愛する人々にも高い人気を誇っています。特にこの地域は、多くのウミガメの保全と救助活動が行われ、その努力が成功を収めている場所でもあります。
コンダオ国立公園の水域は、主にアオウミガメ(または鼈甲カメとも呼ばれる)の生息地として知られています。
毎年6月から9月には、母カメが砂浜に上陸して穴を掘り、産卵シーズンのピークを迎えます。コンダオ国立公園にはカウ島、チェーロン島、タイ島などに母カメが産卵する砂浜が約18カ所観測されています。中でも最も多くの産卵場所が確認されているのは、バイカイン島の広大な砂浜です。
ウミガメは海洋の生態系のパランスを健全に保つのに重要な役割を担っていますが、自然環境の中で天敵に捕食されたり、病気にかかったり、また人間の計画的あるいは無計画な漁業活動によって常に個体数減少の危機に直面しています。
生存率が低く、死亡率が高いウミガメは、成体になるまでに長い時間がかかるため、生まれても無事に成長し生き延びられるのはほんのわずかで、割合にすると1/1000ほどでしかありません。ウミガメの保護を継続するためには、私たちが生息環境や持続可能な海洋生態系を保護、保全し、さらにウミガメの保護プログラムを拡大していく取り組みに協力する必要があります。1995年から現在までの統計によれば、コンダオロ立公園管理委員会の継続的な努力によって救助したウミガメの卵は21,000個に上り、そのうち孵化率は80パーセントを超えています。ウミガメの保護活動の成功によって、コンダオ島はインド洋・東南アジアウミガメ保護機構(※注釈)のメンバーとして正式に認められることになり、ウミガメ保護ネットワークの11番目のメンパーとなりました。
(※ Indian Ocean and South-East Asia Marine Turtles)