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English ソニーイメージングギャラリー 銀座

九州産業大学大学院 芸術研究科 造形表現専攻 作品展 層をたどる

本写真展は、九州産業大学大学院芸術研究科写真・映像領域に在籍する大学院生による展覧会です。

タイトルは「層をたどる」。
一枚の写真が生まれるまでに、撮影者がこれまでどのようなものに触れて、向き合ってきたのか、写真はその人を形成する歴史の層であると考えます。

都市の中にある人工物と植物の関係性を追った「植物と植物」、地元の海岸にある奈多(なた)遺跡から出土した土器を元に、約9万年前に噴火した阿蘇山火砕流の痕跡をたどった「濱から濱へ」、身近な人の死から、自身の憂うる声を綴った「鳩から詩を書くようにと命令される」、都市の持つ光と影に眼差しを向け、自身の思いを投影した「影が追う」、イメージや属性に捉われず、そこにあるままの人の姿とは何かを探究した「平行線がゆれる」、日本各地の海で出会った人々との交流の中で、自身と相手の心のある場を共有した「時々晴れ」、記憶と共にその地に佇む、航空機の姿を記録した「用廃」。

目まぐるしく変化するこの時代に、私たちが社会に何を残せるのか、写真を通じて真摯に向き合い続けている7つの層をどうぞお楽しみください。

植物と植物
郭 棟(かく とう)

現代社会において、植物は都市の肌理に不可欠な要素として浸透し、独特の視覚的景観を形成している。限られた敷地内では都市と植物の間で空間争奪戦が繰り広げられ、都市の開発が進むにつれて激化している。植物の存在は、人間の恣意的な思考により、その存在意義を大きく変容させる。
生命としての存在だけではなく、工業材料を通じて偽の植物を生み出すことで、物として扱われる事もある。このような植物たちは、都市の変容と共に、私たちも馴染んできた。 この状況を踏まえ、都市に存在する植物を客観的に観察することにした。

鳩から詩を書くようにと命令される
江 梦媛(こう むえん)

身近の人の死は、私に死への恐怖をもたらした。
祖父母の死や、継父が死と隣り合わせで生きる姿を目の当たりににした時、死に対する恐怖と悲しみが膨らみ、気が気ではなくなった。
全ての言葉が無力であると感じた。

全てを開放するために、私は山に向かった。
山の中は、苦しみの去った静かな安らぎの境地であった。
揺れ動く感情を、私は詩に書き記した。

濱から濱へ
木下 史雄(きのした ふみお)

福岡の地元である奈多(なた)海岸を歩いていたら、古い陶器片を見つけた。調べるとその場所は、今から約1900年前の弥生時代集落跡「奈多遺跡」であることが分かった。広大な砂丘奈多海岸には、今から約9万前に噴火したとされる熊本阿蘇山、Aso-4火砕流を含む火山灰地層があることも分かった。自分のルーツかも知れない遺跡と、阿蘇山から、高温と高速で九州を焼き尽くして海を越え、火砕流が到達した四国愛媛伊方と隣県の高知まで撮影した。

用廃
永田 海將(ながた かいと)

ライト兄弟が初めて空を飛ぶ夢を叶え120年余りが経つ。
120年の中で航空機は進化を続けている。新しく作られるものもあれば、用途廃止になり産業廃棄物になるものが存在する。部品は再利用されるものや、溶かされアルミ缶などに生まれ変わるものがある中で、処分されず公園や博物館、自衛隊などの施設で展示されるものも存在している。しかし、展示されている航空機も老朽化により撤去されることが増えている。私は展示航空機を環境と共に記録し、後世のために残したいと思う。

平行線がゆれる
鶴岡 佳奈(つるおか かな)

他者とは
普通とは
ありのままとはなんだろうか

イメージにとらわれず、ただそこに在る事の難しさ
それは生きていくことにも通ずる

見えるものには限界がある
自分が見ていたものは、ほんの一部に過ぎない
実は何も見えていないのかもしれない
今は、何度も向き合うことしかできない

ただ、そこにあるままの姿
それでいい、それがいい
自己を見つめ、他者を知る

時々晴れ
聞 天農(ぶん てんのう)

今の社会に様々な感情が押し寄せている—冷たさ、貪欲、疑い、対立、分断、ネット上にもわけのわからない怒りが広がっている。このような社会に生きている私たちは、ネガティブな感情を生む事もあるだろう。時に私たちは、この現実から逃げることを望んでいる。たとえ一時的にでも、自分を休めることができたらいい。海の広さは私たちのネガティブな感情をすべて吸収し、波の音は私たちに語っているようだ。「あなたはずいぶん頑張っていますよ、そしてここにお帰りなさい」。
私もこの世界に逃げ込んで、様々な人と出会った。

影が追う
張 焱偉(ちょう えんい)

街並みに朝の光が降り注ぐ。
流れる交通音が生命を目覚めさせ、タイヤが街の底を擦る。

私たちは出会い、命を背負って、人生に立ち向かう力をもう一度身につけるのです。
私たちは闇に浮かぶ影であり、光を追い求めます。