SONY

Chapter 2

デジタル技術の萌芽と
飛躍的な成長

今や音楽制作とは切っても切れないデジタルのテクノロジー。

ソニーのPCMプロセッサー、PCM-1はVTRとの併用でデジタル録音・再生が行える
世界初の商品であり、後のプロ・オーディオ界の進化の布石となっています。

PCMプロセッサーとは、ビデオ・テープを用いたデジタル録音/再生に必要なインターフェースのことで、
現在で言えばオーディオI/Oのような存在です。

第2章では1970年代後半からの軌跡をたどります。

ボブ・ラドウィック

マスタリングの世界的名匠。PCM-1610やPCM-1630でマスタリングを行っていた

©Bob Ludwig by permission/photo by courtesy of Peter Luehr

レコードに代わるメディア=CDを見据え
スタジオに導入されたPCM-1610

1970年代は、まだアナログ・レコードが音楽メディアの主流でしたが、社内では音声をデジタル・データとして記録し、それを再生するという“デジタル・オーディオ”の研究が進められていました。主導したのは、当時できたばかりの部門=技術研究所の所長を務めた中島平太郎。ソニーへ入る前はFMラジオの音質向上のためにデジタル・オーディオを研究し、入社後の1974年にはPCM録音機のプロトタイプX-12DTCを完成させていました。

ちなみに“PCM”(Pulse Code Modulation)とは、アナログの音声をサンプリング周波数に基づいて測り、各サンプルの音量をビットで表すというデジタル変換の方式。のちにCDや楽曲ファイル、シンセサイザーやリズム・マシン、サンプラー、オーディオ・インターフェースなどに広く使われることとなりますが、その基礎はX-12DTCにあったと言えるかもしれません。

そして1977年、ついにPCMプロセッサーのPCM-1を発売。AD/DAコンバーター(アナログ/デジタル変換のための回路)などを備えた2chの機材で、ベータマックス規格のビデオ・テープ・レコーダーと組み合わせ、デジタルの録音/再生が可能でした。PCM-1は民生機でしたが、1978年にはプロ用の2chモデルPCM-1600を発売。Uマチック(U規格)のビデオ・テープ・レコーダーと組み合わせ、デジタル・マスター・レコーダーとしてスタジオなどに持ち込まれていきました。

「1970年代には、デジタル・マスターをアナログ・レコードに使った記憶はありませんが、来たるべきCDの時代に向けて準備していたのかもしれませんね」と語るのは、ソニーのPCMプロセッサーを活用していたレコーディング・エンジニア 吉田保氏。CDはソニーとフィリップスが共同開発し、レコードに代わる新たな音楽メディアとして1982年に商品化されました。その布石が1970年代末のスタジオには既にあったと言えます。

「PCM-1600の後にPCM-1610(1980年)やPCM-1630(1985年)といったPCMプロセッサーがソニーから発売されました。PCM-1610では、SN比を改善するために“エンファシス”という機能をオンにするのが必須でね。“高域を上げた状態で録って再生時に下げる”というものだったので録音レベルを稼ぎにくかったんですが、その辺りがPCM-1630になると大幅に良くなって、音質も向上したと思います。マスタリングの音作りはアナログ・コンソールで行われており、曲の並べ替えやインターバルの設定、PQコードの入力などはDAE-1100やDAE-3000といった専用編集機が担っていました。ちなみに僕はPCM-1610のころ、デジタル・マスター向けのマスタリングというものをほとんどやっていなくてね。つまりマスタリングをしなくてもいいような音作りをミックスで行っていたので、1982年にリリースされた大滝詠一さん『A LONG VACATION』のCDなどは“ミックスをPCM-1610のシステムで録っただけ”という状態に近いと思います」

写真1
写真2

写真1 : 1977年に発売した2chの家庭用PCMプロセッサー、PCM-1。当時の価格は48万円。ベータマックスのビデオ・テープ・レコーダーと併用し、デジタル録音/再生が行える世界初の製品となった

写真2 : 1980年に発売した2chの業務用PCMプロセッサー、PCM-1610。Uマチックのビデオ・テープ・レコーダーに対応し、16ビット/44.056または44.1kHzをサポートした。本機を中心とするデジタル・マスタリング・システムは、広くスタジオで使われることとなる

海外のスタジオにも普及した
PCM-1610やPCM-1630

PCMプロセッサーを中心とするソニーのデジタル・マスタリング・システムは海外にも普及し、1980~90年代のデファクト・スタンダードとなりました。「PCM-1610とDAE-1100は紛れもなくスタンダードでしたし、それらに取って代わったのがPCM-1630とDAE-3000だったのです。私の住むアメリカだけでなく、世界中の大半が同様だったと思います」と語るのは、Sterling SoundやMasterdiskを経て、現在はGateway Masteringを主宰する世界的なエンジニアであるボブ・ラドウィック氏。

「私がソニーの機材で初めてマスタリングしたアルバムはラッシュの『ムービング・ピクチャーズ』で、1981年のことでした。PCM-1610とUマチックのデッキを使いましたね。ミキシング・エンジニアのポール・ノースフィールドたちは、賢いことにミックスをPCM-1610のAD/DAに通した状態でモニタリングしていて、デジタル・マスタリングを見越した音作りにトライしていました。それは2021年の現在でも変わらずにアメイジングなサウンドです」

写真1
写真2
写真3
写真4

写真1 : PCM-1610およびBVU-800DA(Uマチック・ビデオ・テープ・レコーダー)と組み合わせて使う編集機、DAE-1100。編集点を探ることができるサーチ・ダイアルなどが搭載されている

写真2 : PCM-1630と組み合わせて使用された編集機、DAE-3000

写真3 : 1985年に発売したPCM-1630。PCM-1610からのリプレースなどを行いやすく設計することで、世界中に普及した。またAD/DA部のフィルターなどにより、録音/再生時のトランジェント特性が向上している

写真4 : Uマチックのビデオ・テープを手に取る若き日のラドウィック氏

©Bob Ludwig by permission

エンジニアにとって信頼性の高い
マスター・レコーダーDMR-4000

以降、ラドウィック氏はPCM-1610やDAE-1100を活用して多くの作品をマスタリング。ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・U.S.A』やマドンナ『ライク・ア・ヴァージン』、メタリカ『ライド・ザ・ライトニング』、ブライアン・フェリー『ボーイズ・アンド・ガールズ』などの名盤も含まれています。

「フラットな周波数特性が魅力だったんですよ。また、ほかのどんなレコーダーよりもはるかにリニアな特性で、クラシック音楽のようにダイナミクスの大きなソースにもばっちりでした。実際、クラシックのプロデューサーたちも勢い良く飛びつき、そのまま使い続けていましたね」

1993年にGateway Masteringを設立してからも、精力的な活動を展開してきたラドウィック氏。当初のシステムについて、こう述べています。

「PCM-1630とDAE-3000でスタジオをスタートさせたのです。その後、PCM-1630とレコーダーのDMR-4000を何台か導入しました。DMR-4000は、何の心配も無く電源をオフできるほどに優れたマシンでした。当時の私にとってベストな一台だったと言えます。また、PCM-1630のシステムを使った作品としては、ハッピー・マンデーズ『イエス・プリーズ』やミスター・ビッグ『バンプ・アヘッド』、ニルヴァーナ『イン・ユーテロ』にマドンナ『ジャスティファイ・マイ・ラヴ』、ペット・ショップ・ボーイズ『ヴェリー』などが挙げられますね。本当にたくさんあるのです」

世界中で愛用されたPCM-1610やPCM-1630のデジタル・マスタリング・システム。ソニーは、時期を同じくしてマルチトラック・レコーディングの分野でもデファクト・スタンダードを築いていきます。

写真1
写真2

写真1 : デジタル・マスター・レコーダーのDMR-4000(写真左)とPCM-1630

写真2 : Masterdiskに設置されていたDMR-4000(写真左ラック下/同右ラック上)やPCM-1630(同右ラック中)

©Bob Ludwig by permission